人車鉄道の碑 (熱海駅舎跡)

人車鉄道の碑 (熱海駅舎跡)は熱海駅から商店街を抜けてそのまま道なりに進み徒歩7,8分のところ、熱海大江戸温泉の目の前に有ります。

厳密には目の前と言うより、

思いっきり大江戸温泉の敷地内に入ってますw

豆相(ずそう)人車鉄道

かつて人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が小田原~熱海間を走っていました。明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し翌29年3月に熱海~小田原間が開通しました。
当時、熱海は温泉宿約30軒ほどの保養地で政財界の大物や文人が盛んに訪れていました。しかし東京・横浜方面から熱海に至るには海沿いの険しい道(熱海街道)を歩くか駕籠か人力車を利用していました。
そこで、熱海の旅館業主を中心に地元有志や京浜の実業家等が小田原熱海間に鉄道計画を興し、経費も安価であったことから人車鉄道を建設しました。
豆相人車鉄道と呼ばれ小田原熱海間25.6km。駕籠で約6時間かかっていたところを約4時間で走りました。
豆相人車鉄道は1車両に客は平均6人それを2~3人の車夫が押していました。6両編成で小田原熱海間を日に約6往復し急な上り坂になると客も降りて一緒に押したというのどかな風景も見られました。
雨宮敬次郎を社長とする豆相人車鉄道株式会社として事業に当たっていましたが明治41年8月に軽便鉄道に転身し約3時間の所要時間になりました。
しかし大正12年に起きた関東大震災によって軌道は寸断され復旧を断念。翌13年に鉄道事業の幕を閉じました。 小田原市オフィシャルサイトより

レリーフの図を見るとその時の風景がぼんやりとながら浮かんできます。
 

駅からも近く立ち寄りやすいので通りかかった方は是非どうぞ。

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